第21話   「たそがれ清兵衛」の庄内竿 3   平成16年08月31日  

庄内の人達は「たそがれ清兵衛」の映画を幾度となく見ていたようだ。特に直木賞作家藤沢周平の小説に出てくる海坂藩と云うは故郷庄内藩(酒井藩)をモデルとして描かれたもの映画化であったから至極当然の事と云えば当然の事である。藤沢周平の小説の海坂藩を舞台にした小説は数編あり、いずれも故郷を重ね合わせ執筆されたものと考えられている。昨年8月22日(平成15年)から数回に渡ってNHKで放送され評判となって、今鶴岡市周辺で映画の撮影が行われている「蝉しぐれ」等も三方を山、一方を海に囲まれていると云う設定の海坂藩=寉岡周辺が舞台となっている。

かく云う私も「たそがれ清兵衛」を二度、三度と観賞した。主人公井口清兵衛は貧しい下級武士、貧困の中で妻が病に倒れ妻は他界する。しかし残されたふたりの娘とボケた老母をかかえてたくましく生きていく清兵衛。貧しさの故古着の身なりで家族を養うために内職や畑仕事にと追われる毎日である。城中の仕事が終われば同僚の誘いがあっても断って、そそくさと帰宅するのが日課である。  たそがれ時に決まって帰ってしまうと云う、そんな清兵衛を同僚たちは「たそがれ清兵衛」と陰口を叩いた。 これは藤沢周平の自分の境遇と重ねあわしている。彼自身一人前の小説家としてデビューする前、若くして妻を癌で亡くし、幼い娘と老母を抱えていたのである。

主人公井口清兵衛の釣の指南に当たっていたのが、最近二度ほどお目にかかった加茂水族館の村上龍男氏でその時の裏話を聞いた。村上氏の意見に従えば、当然城下の武士の釣は磯でなければならない。庄内の釣=磯釣りとなっているのは庄内釣を自認する氏でなくとも、庄内の釣り人であれば半ば常識の事である。昔殿様が奨励した釣とは心身の鍛錬の為の釣りで、城下町より徒歩で山越えした3里(12km)ほど離れた加茂を中心とした磯場の釣と云うのが常識である。決して城下町の外れを流れる赤川等ではなかった。城下町外れの川釣りでは、心身の鍛錬とはならず殿様は釣を奨励することはなかったであろうと云う氏の考え方に同感する者である。

しかしながら山田洋二監督は、あえて庄内伝統の海釣りではなく、川釣り(撮影は鶴岡市赤川の市民ゴルフ場前の中州で行われた)に固執したと云う。庄内釣の指南役として選ばれた氏としては不本意であったようだが、それでも一生懸命に指導した。主人公の井口清兵衛役を演ずる真田広之さんは、何度も何度も氏の持参した細身の2間半の庄内竿の継竿を振っては感触を確かめながら役作りに没頭し、穂先がスタッフの銀レフに軽く触れ折れたのも気が付かないほどに熱中していたと云う。江戸時代の庄内竿は延べ竿でなくてはならない。そこで継ぎ目の真鍮パイプが分からず、それらしく見えるとの指示でテープを張り撮影が行われた。私が映画の中で、一見小バヤに見えた魚は、実は中流域では決して釣れる事のない岩魚(ハヤが手にはいらず養殖岩魚を使った)であったと云うから驚いた。

時に映画は現実と異なる表現が、逆に真実味を帯びて鑑賞者に物事を訴えて来るから不思議である。それは庄内藩の上級武士の遊びの為の釣とは程遠い、如何にも幕末の貧乏な下級武士の生活の為に数を釣らなければならない釣りの場面である。其処を見事に表現したワンシーンと感じたのは自分だけであろうか。正に山田洋二監督の狙いも其処にあったのではないかと思える瞬間でもあった。

清兵衛(50石の下級武士)とかつての朋輩飯沼倫之丞(400石の上級武士)が釣をする場面が有る。倫之丞の妹で婚家より出戻って来た幼馴染の朋江を嫁にどうかという話をしながらも、其処には同じ餌を使っても釣れる清兵衛と釣れない倫之丞がいた。清兵衛の無心に振るたった一本の竿の描写の中に、何気なく食料を確保しなければならず上手でならなければならないと云う下級武士の生活の一端を表現した山田洋二監督は流石と思った自分である。その様に感じたのは自分が釣好きのせいだったのであろうか?




注:海坂藩」と云う地名は現実にはなく病気療養中の昭和 28年夏から31年夏まで会員と       なっていた俳誌「海坂」に盛んに投句をしていた事から、その「海坂」を取って使われたもの  と考えられている。

注:藤沢周平の海坂藩が出てくる小説
 「たそがれ清兵衛」「蝉しぐれ」、「三屋清左衛門残日録 」、「又蔵の火 」、「義民が駆ける 」等がある。